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2010年11月 「ガタ高」の記憶
私の肩書きが一つ増えました。
それもノーベル賞が絡んでいます。
その肩書きはノーベル化学賞の鈴木さんが私の先輩ですというものです。
先日、ノーベル化学賞に鈴木章さんら3名が選ばれました。鈴木さんは北海道大学名誉教授ですが、生まれは鵡川町で、道立苫小牧東高校(旧制中学校)の出身。私は苫小牧東高校出身ですので、彼は私の先輩にあたります。
鵡川町は苫小牧から電車で30分、襟裳岬の方角です。当時は汽車通学ですので、時間は1時間近くかかったと思います。鵡川はシシャモの街。今頃鵡川を抜ける道路沿いでは、店を囲むようにシシャモのすだれ干しが続きます。
私が通っていた当時、苫小牧東高校は「ガタ高」と言われていました。
おんぼろ校舎で廊下を歩くとガタガタと音がたち、窓も木枠でしたので、よく閉まりませんでした。1学年800名以上で13クラス、1部屋60名以上のすし詰め教室。夏は風通しが良くていいですが、冬は大変です。苫小牧はスケートのメッカ、校庭や、公園に夜、水を撒けば、翌朝にはきれいなスケート場に変身します。私も3歳の時からスケート靴を履いて夜間照明のある本格的な屋外スケートリンクで遊んでいました。今でもスピードスケート、アイスホッケーのオリンピック選手を苫小牧から輩出しています。
冬は-10度以下に気温は下がり、雪は少なく冷たい風が吹き込みます。教室の黒板の横にダルマストーブが一つありました。ダルマストーブは鋳鉄製の大型ストーブで「十能とデレッキ」で石炭をくべていき、大きな胴長の丸いストーブが真っ赤になるほど、すごい熱風を出しますが、それは前1,2列まで。1,2列までの生徒は顔を真っ赤にして汗をかいています。ところが3列目から後ろは窓から冷たい風が吹き込んで、震えて授業を受けていました。鈴木さんが苫小牧東高で授業を受けていた頃は、もっと厳しい生活環境であったことでしょう。
北海道は1871年に北海道開拓使が札幌に置かれ、それから屯田兵制度によって士族が家族を連れて入地し、未開拓な土地を割り当てられて開拓が始まりました。1970年に札幌の郊外、野幌に開拓100年を記念して開拓の村、記念塔などが作られました。北海道の歴史は新しく、色々なしがらみがありません。また大きな自然があるので、おおらかで、細かいことにこだわらない人柄の人が多いと思います。
高校生までの環境がその人の人柄から物の考え方、健康まで大きな影響を与えると思います。
食べ物にしても小学校の時、バスで長い時間バスに揺られて、一升瓶を持って牛乳を買いに行っていました。ウニも海岸で割って食べていました。今では食品衛生法などで無理なことでしょう。また、工場から1ポンドのバターを買っていましたので、それが東京では4分の1とか8分の1ポンドの大きさでしたのでびっくりしたことが思い出します。
乳製品は子供のころから当たり前に摂取していたし、それで子供のアトピー患者がいたとは思えません。トウモロコシ、ジャガイモなどがおやつでしたし、タマネギなどの甘味も小さい時から知っていました。
田舎のない子供の環境を考え、フランス、ドイツのように学校が休みの時期に家族が計画年休を申請し、それを企業が支援するような制度が必要でしょう。祝日が日本と比べて4日~7日少ないイギリスをはじめ、欧州各国にしても有給休暇取得率はほぼ100%です。
日本の厚生労働省は労使で有給休暇の取得率の数値目標を設けることを努力義務にしています。
1週間ぐらいの家族旅行を毎年続けて欲しいと思います。
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